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2024/7/28 外部公開記事 

情報解禁前の為、作品名は伏せますが

十年近く前、オーディションに行っては台詞一言の役を勝ち取り現場に行く、という日々を繰り返していた。メインを演じるキラキラした人達を遠目に「自分はあちら側の人間ではないから」と言い聞かせ、台本と睨めっこをして、良質な作品を見漁っていた。そもそも誰も自分の事など見てもいないのだから、挨拶や愛嬌、数字や見え方などは無視して、髪の毛もセットせず、ジャージ姿でオーディションへ行き、挨拶は勿論のこと自己紹介もせず、映画会社の一室の奥に並んだお偉い様方を睨みつけて…。

 

勝ち取った役名は「学生2」というものだった(学生①と③はもう俳優を続けているだろうか)。現場で目をぎらつかせている若かりし僕に、怪しい関西弁の清家という男が声をかけてくれた。シーバーを付ける二十代後半の男は、ヘラヘラとしながら僕を食事に誘ってくれた。

 

新橋の焼肉屋で食事をしながら「お前、おもろいな〜。俺もすぐにプロデューサーに出世するから、お前も早く売れろや。それで一緒に好きな事やろうや」と本気なのか冗談なのか分からないトーンで言われたことをぼんやり覚えている。初めて誰かに認められたような気がしたし、間違いなく初めて仕事で出会う大人とちゃんと目を見てもらえた気がした。それからは、どうしたら早く売れるんだろう?とずっと考えている(プロデューサーへと出世した彼は毎年、何度も何度も僕を作品に呼んでくれた)。

 

 

 

それから十年近くが過ぎて、僕はバイトも辞めて、なんとか生きている。数字を追いかけながら、ブランディングを意識しながら、どうしたら売れるんだろう?と今も追いかけ続けている矢先、大作の連続で頭がおかしくなってしまった。その時僕はオーストラリアで、戦争もののハリウッド作品を撮影していた。完全にキャパオーバーで、リハーサルでは監督に言われたことを無視して外でずっとタバコを吸っていた。スタッフが英語で声をかけてきても無視をした。それくらい、もうパンパンになって、心からいろんなものが漏れ出て、破裂して、溢れてしまっていた。そのままアメリカへ渡り、韓国へ。日本でゆっくり生活出来るようになったのは今年の五月中旬の話であると思う(一月から五月まで海外の行ったり来たりを繰り返していた)。

 

一年ぶりに清家さんから電話をいただいた。「よぉ、ハリウッド」と彼がヘラヘラしていたので、「おい黙れ」と返して、一秒くらい間を置いてお互いに爆笑していた(歳上に大変失礼なのだがご容赦願いたい)。「一年前にオファーしたドラマの話なんだけど、演ってくれへんか?」と彼が真面目な声をかけてくれる。一年前にいただいたオファーは生意気にも断ってしまっていたのである。正直、もうその時は、お芝居をする事に希望や夢を見れなくて、俳優業の引退も考えていた。海外作品をたかが数本やっただけで謎の万能感と虚無感と、到底越えられない壁を感じてしまったのである。

 

「清家さん、俺、結構やる気ないよ?」

 

「おう、そうか〜。まぁそれならリハビリでもええとちゃうんか?お前はここまで頑張り過ぎや」

 

なんだか言葉に詰まってしまった。

 

少し考えさせてくださいとお返事をさせてもらい、ずっと頭の中でぐるぐる考えていた。その時に冒頭の「焼肉屋で僕を認めてくれた事」を思い出した。ここまで自分のステップアップの為にだけ頑張って来たけど、振り返ると周りを傷つけてばかりだったと反省する。たまには恩返しをする必要もあるかもしれない。そう思って、作品に参加させていただく事にした。原作を読むと、まだ役名も明かされていない役だと知って、「ノンクレジットでの参加」を提案させて頂いた。清家さんと中山プロデューサーが引き取り、僕のわがままな提案を快く了承してくれた。

 

久しぶりの現場は毎日が新鮮で、太陽が無情に降り注ぐなか、軽快に動くスタッフ達を見て、少しずつやる気が湧いて来た。(もっともっとお芝居がしたいと思ったのは何年ぶりだろうか)

 

数日前の撮影、僕は炎に包まれるシーンを撮る為、現場へと向かった。もちろんスタントの方が来てくださり、そこは代役でのお芝居になる。代役になる場合、顔を映せないので撮れる画に制限が出てしまう。これは仕方のない事で、俳優部の安全を、チームはいつも第一に考えてくださる。喫煙所で無駄話をしていると「代役無し、CG無しで本人がやれるならもっと説得力のある面白いものが撮れるんじゃないか」という冗談の話が始まった。清家さんが「お前、燃えれる?」と聞いたので、「清家さんがテストで一回燃えてくれたらやりましょうか」と返事をしながら考えていた。もしかしたらこれ、僕自身でできるかもしれないな〜。

 

清家さん、中山プロデューサー、監督達と話をした結果、「演ってみよう!」という事になった。勿論、万が一のことを考えた対策を万全に練り、何度も練習と確認を行った。夕方前に撮影予定のそのカットの本番では、普段裏にいるスタッフ達もカメラの後ろで待機してくれていた。本番前、少し手が震えた。胸がドキドキして、最悪のパターンを想定した。ジーンズパンツに火が付いた瞬間、本番が始まり、15秒後には火を消していた。(この後に知ったのだが、プロデューサー達は編集作業の為お昼には現場を出る予定だったらしい。万が一に備えて、現場に残ってくださったようで、良かれと思ったことが実は迷惑をかけてしまったかもしれない)

 

その日は最高の気分で車を飛ばして帰宅した。助手席に座るマネージャー(ペーパードライバー)に、火をつけられた話を何度も何度も繰り返して話してしまった。それだけ高揚感があり、満足感があった。難しい事に自分から前のめりで突っ込んでいこうと思った。そのシーン、この作品がどう評価されても別にいいじゃないか。ブランディングやマーケティングに囚われ過ぎているこの時代と自分自身に、そろそろ僕は嫌気が差していたような気がする。それが欲し過ぎて、数字や結果を気にしすぎるあまり、自分が安全圏に居る状態に飽きてしまったのだと思う。チームの為に動ける人間になりたい。自分一人で速く生きて来たからこそ、今度は仲間と遠くへ行きたい。振り返ればそこにいてくれる人達を、大切にしていける人間になりたい(中空きが一時間半以上あれば外にご飯を食べに行くけどさ)。

 

。。。。。。。。。。。。。

 

帰宅後、シャワー浴びながら髪の毛を洗っていた。身体についている防炎クリームを落としながら、目を瞑り、ふと考えてしまった。もしかしたら、代役無しでやった今日のことは誰かにとっては迷惑だったのかもしれない。若い俳優が調子こいたと思われたかもしれない。それが故に困った人がいるかもしれない。分からない。本当の事は分からない。というか、この世界に本当の事などない。どーでもいいね、難しい事に挑戦しないとドキドキ出来ない。僕の自己満にもう少しだけ付き合ってくれたら嬉しいな。流石にわがまますぎるのかな?

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