ベルリンでのお披露目が発表された「ナローロード」の完パケをいただき、ログインに苦戦(これは海外作品あるある)するも、なんとか視聴することに成功した。現在、第一話の視聴直後である。

「年老いた主人公と若かりし主人公」の二つの時間軸で進む物語は、僕の心を揺さぶる。作品に参加する前に原作を読んた。海外作品の完パケには日本語訳などは付いていない。なので、僕は彼らが何を話しているか基本的に理解ができない。もしかしたら、理解するのが怖くて耳を塞いでいるのかもしれない。
映像がとにかく美しい。そして残酷で、心臓の音が苦しい。僕も踏んだその地の景色で、彼らの身体の線とか凹凸の影の一つ一つが苦しい。確かに僕自身も撮影はしんどいものであったが、彼らはもっと大変だったのだと改めて思う。「1943」という数字を合図に、「若い主人公」のパートになる。この数字を見るのもつらい。
これは戦争が彼らから奪った青春であると思う。残酷な世界にも青春はある。真っ暗な部屋のランプの灯りのように、圧倒的に輝く彼らの姿に映画を観ながら僕はクスッと笑った。笑ってしまった直後、(視聴者として)自分が笑っていいのだろう?(視聴者として)自分も彼らとこの思い出を共有していいのだろうか?という気持ちになる。笑っているのに涙が溢れてくる。感情が複雑すぎて、僕の言葉では表現できないのかもしれない。
「老いた主人公」もまた魅力的である。何か秘密を抱えていて、何かに悩んでいる。
(海外から)作品の取材依頼が来ている。何を話せばいいだろうか。何を話せば許してもらえるのだろうか。
第一話が終わり、エンドロールに自分の名前が大きく出てくる。監督が来て、プロデューサー、原作者、主演とヒロインと、数名、そのすぐ後に僕の名前がくる。ほんの数人のこの作品の代表的なのような扱いで大きく出る名前に、申し訳なさより先に嬉しさが来てしまったことをに気づいて深く反省した。観終わった後、少しの間は喫煙所の椅子から動けなかった。
大したことはしていないし、そんな事したこともないし、これからも何も出来ずに悩んでいるのだろう。「あと5分で搭乗開始だけど大丈夫?」とマネージャーから電話が来たので急いでタバコを消して、上着を持って、席を立った。ちょうど車椅子の女性が扉の前に来たので、扉を開けていい人のふりをした。
どんな作品なのか、どんな笠松さんが観れるのか、楽しみです☺️⭐️ 早く映像がみたい!
おつかれさまです。
「アートではなく、歴史を繰り返さないため。そして今ある戦争へのアンチテーゼのため」
この決意表明を読んだ前後、私はガザの虐殺に反対するデモに多く足を運んでいました。所詮当事者ではない自分が遠く離れた平和ボケした日本で抗議活動に参加することに一体何の意味があるのだろうかと、いつもひどく居心地の悪い思いをしていました。周囲の人々は何の疑問もなく、自分が正義を体現しているのだという確信を持ってそこにいるように見えて、自分もそう思えたならこんな身の置きどころのない思いをすることもなく高揚して一日を終えることができるのになあ、なんて煮えきらない思いを抱えてもいました。そうして、何の役にも立たないが自分を納得させるためだけにそこにいるのだ、と寒空の下ただじっと俯いて立ち尽くしている。ということを繰り返していた時期でした。
だから、笠松さんのブログを読んで、勝手ながら「私の大好きな、日本が世界に誇る才能のある俳優が、自分と一緒に戦ってくれているんだ」と、真夜中にひとりで馬鹿みたいにスマホを握りしめて泣いたよね? ……なんてことを思い出して、つくづく自分に酔ってたよなあ、と今すこし恥ずかしさを感じています。
今でも、あの時自分があの場にいたことに自己満足以上の意味はなかったと思う。
でも、笠松さんは違うのよ。
当事者ではない他人が、当事者として全身を、心を、魂のすべてをさらけ出して表現する。俳優の仕事って本当に業が深いというか、本来ならば抱え切れるはずもない無数の他人の人生を背負って、抱えて、その人々の想いや言葉を可能な限りの解像度で再現しなくてはならないのだから、そりゃしんどいし、疲れるし、常に自分自身との戦いなんだろうなあと思う。
でもそうやって笠松さんが演じた誰かが、血肉を持ってその言葉を語り、想いを伝えてくれるからこそ、見ている自分はその誰かの人生に心を揺さぶられたり、胸を痛めたり、もう二度とこんな悲劇を繰り返すまいと心底思えたりできるのだと思います。
笠松さんがクレジットの順番に感じた喜びに対する後ろめたさ?は、あのデモの現場で私が感じていた居心地の悪さとどこかで通底するのかもしれない、と勝手ながら想像しています。ましてや笠松さんは、演技を通じて加害側として関わったという当事者意識もあるのだから、更に複雑なのだろうなと思います。でも、その違和感こそが、完全な当事者たり得ない者の然るべき距離感なのかもしれない、とも思うのです。
クレジットの順番はそのまま責任の重さの順番なのかもしれないけれど、だからこそ、喜びと共に胸を張って引き受けてもいいのではないでしょうか?
いつもありがとう。腕まくりするような心地で原作を読んだ直後の、どうにもやり切れない気持ちを思い出しました。あの大作を、全5話のドラマ仕立てにするんでしたっけ。確か、途中でとても美しく長い英語の台詞が何シーンも追加されたりもしてましたよね(笑)
あの長く重く複雑な物語が、どんな映像美とリアリティと説得力を持って届けられるのか、今からとてもたのしみです。海外に見に行こうかなとも一瞬思ったんですが、どうにも英語がわからないのでw もう一度原作を読み返しつつ、日本での公開を待とうと思います。
めっちゃ蛇足なのですが、当時書いた長文のブログ、もう一度載せときますね(笑)
https://notes.underxheaven.com/preview/4a369b21a585d8ee64f1becae8dc30d8
知らないまま生きていくこともできてしまうからこそ、知れる機会があるのなら知っていきたいと思いました。
ナローロード、しかと拝見させていただきます!
ん~色々考えさせられますね。しょーちの名前早くみたいです。しょーちの優しさしみるねぇ…車椅子♿ドア開けてくれる気遣いなかなかできないよ。車椅子の人にとって、引き戸のほうが助かるんだよね😌
作品楽しみです❗
しょーちいつもありがとう😉👍🎶体調だけは、気をつけてがんばっです👊✨
しょーち愛してる💚
申し訳なく思う気持ちと嬉しい気持ちはちがうところから来ている思いだから切り離して考えていいよね🧠二つの感情に素直にいれることがステキだと思う。
今の心情を書いてくれてありがとう。
ブログを読んでどう言葉にしていいかわからずに今もいるよ。どんな作品か、あらすじや感想をきいていたけどそれだけでは言葉にできなくて…少しでもしょーちの気持ちに近づきたい思いで(そんな簡単なことじゃないけど😭)いまさらながら原作を買いました📚読書してこなかった私が読める本なのか、自信はないけどそう思わせてくれるほど私にとってしょーちは大切な存在です😌原作読んだコミュメンさんの感想も、自分で読みたいと思わせてくれたきっかけ。いつも豊かさをありがとう💖