忙しすぎてもダメらしい

バーでアイスコーヒーを飲んでいる。目の前の知人が僕に映画のチラシを差し出す。その映画は、一度僕のとこに話が来たもので、その時はとてもやりたくて監督に手紙まで書いた。しかし、その作品は僕を選んでくれなかった。何度かの延期に次ぐ延期と、出演者の選び直しを繰り返し、僕は結局作品との縁を結ぶことが出来なかった。その映画のチラシが、今僕の目の前に差し出されている。「公開、おめでとうございます」とチラシを顔に近づけて、細かい文字を読んでいるフリをした。「良かったらムビチケも貰ってください」とお気遣いをいただいた。左の胸ポケットにしまって、タバコに火をつけた。

みなさん、暑い夏がまだまだ続いていますが、お元気にされていますでしょうか？僕はと言いますと、かなりヤラレテおります。台詞を溜め込んではカメラの前で吐き出す日々を繰り返しております。全然間に合っておりませんが、もちろん現場でセリフが飛ぶということはございません。みなさんにご迷惑はおかけいたしません。安心安全、信頼のカサマツ印でやらせてもらっております。一度断言された演出でも、撮影後のキャンセルはもちろん無料で受け付けております。お気遣いなくお申し付けください。最大三回までのパターン違いでのお芝居も基本料金に含まれております。若い監督の皆様、経験の浅い監督の皆様、カサマツ証でございます。細かい動きにも何なりとご注文くださいませ。カサマツでございます、笠松でございます。

俳優を初めてずっと、自分の中に確かな正解を持っている気がした。監督に言われた事にも、それは違うと何度も反論してきた。しかし最近は、正解がなんだか全くわからなくなってきている。というよりどれでも、それはそれでアリなんだと思う。全くわからない。自分がどうなりたいのかもわからなくなってきている。今撮影中の作品たちが表に出る頃に、自分のステージを一つ一つ上げて行かなければいけないと思っていた。でも今は、全くそんなふうに思えない。一生懸命作った作品を完成させて、そのまま放送しなければ良いなと思ってしまう。誰にも評価されたくない、そんな気分でいる。

もちろんこんなことは許されるはずもなく、ちょっとした宣伝の映像撮りの際、沢山の人に見ていただけるよう〜とか定型分を話してしまった。撮影終わり帰宅する。振り返りと反省で覚醒してしまう。自分のパフォーマンスに自信が持てなくなっている。歳をとって、少しは周りが見えるようになってしまった弊害か。答えのない、そして勝ち負けのないゲームはやっている気がする。ロマンとプライドだけでここに立っている。逃げるようにバーへ向い、アイスコーヒーを飲みながらぼーっとする。偶然、知り合いのプロデューサーと居合わせたので乾杯をさせてもらった。

現在の仕事になんの不満もない。むしろとても充実していて幸せだと思う。でもなんだか全く潤わない気もする。ひたすらに渇いていく。この忙殺される日々を超えた先にきっと答えがあるとまだ信じている。一つひとつ、やっていくしかないと言い聞かせてグッとがmんすることもある。それができるようになったのは進化なのか、もしかしたら退化なのか。嫌なことも出来るだけ表明しないようにしている。そんなもの僕にとってなんのメリットもないのだから。できるだけ笑顔でいい人を演じている。喉元まで出かけた言葉を飲み込んで腹の中がガスでパンパンになっている。できるだけ一緒に時間を過ごす人に悪い印象を与えないように尽力している。アイスーコーヒを飲み切って会計をする。店を出て少し歩いて、そこにあったゴミ箱に左胸ポケットにしまったもらったばかりのチケットを丸めて捨てた。

https://youtu.be/N-eJikplPcs?si=WDlD9i1aBdzzV_T6