先日、とある国のファッションマガジンにて、表紙の撮影をさせていただいた。正直、自分が表紙をやったとしてどれ位の部数が売れるのだろうかと考えると胃が痛くなる。それでも断るという選択肢は無いし、有難いものだとほっぺの奥に隠して「美味しい」を味わっている。優越感と数字の戦い、実は全く華やかではなくて、地味で泥臭い。そんなことがたまに怖くなるけど、楽しい瞬間を見逃さないように目を見開いて、必死に「美味しい」を感じてる。
数日前、大手本屋さんを周り、僕が表紙を務める雑誌を取り寄せられないか、相談しに行った。洋書を多く扱う書店は、僕が次の表紙だと気づく事もなく丁寧に対応をしてくれた。
「こちらの商品は取り扱いが無く対応が出来かねます」
「おいおいおい、何を言っているんだい?ショウカサマツが表紙なんだぜ?昨日、イプサのPRのお仕事にお呼ばれしている俺だぜ?笑わせてくれるなよ、お嬢さん」と頭の中で言いながら、「あ、わかりました〜」と書店を後にした。
海外サイトを調べてみても、一冊だけを購入しようと思うととてもコストがかかる。送料が高いのはもちろんだが、そもそも本当に日本に届くのだろうか(前コミュニティで私物プレゼント企画をやったが、当選者の一人が南アフリカ在住らしく、半年以上前に投函した荷物は、まだ彼女の手元に届いていないらしい)。
これは荒れそうである。「海外の雑誌の表紙をやります!」と豪語しておいて、日本で買う事ができない。それはもはや、実はそんな仕事なんてしていないのでは無いかと、僕なら疑ってしまうね。せっかくだし家族にも配りたい、欲しいと言う人がいればサイン入りで販売をしたいし、余ったなら仕事した人たちに配ればいいか、と言うことで数百冊の買い付けを行う事にした。僕の家に、僕が表紙の雑誌が数百冊届くのである。ゾッとする。
そのやり取りを現在進行形で行っているのである。面倒くさい、確かにそうかもしれないね。でもね、お芝居の仕事が嫌になって、断り続けて気づいた事がある。面倒くさいと言っていたら、ご飯を食べるのも嫌になる。面倒くさい事を全部断っていたら、社会とのつながりがなくなってしまう。
意味なんてない、なんだってやらせていただきますの精神で、つまらなかったらメチャクチャに悪口を言いながら、朝まで飲み明かせばいいのさ。
ブログ、読むだけ読んでコメント書けなかったことが続いてしまってます。。。
今更ながらにコメントを😂
「面倒くさいと言っていたら、ご飯を食べるのも嫌になる。面倒くさい事を全部断っていたら、社会とのつながりがなくなってしまう」
年に一度。。。まではないかな。
ご飯を食べるのもイヤになる。
面倒くさくなる。
社会と繋がりがなくなる。。。そんな気分。。。気持ち?になります。
今久し振りに少しそんな気分になってしまっているってこのブログで気付きました。
最低限は社会と繋がってないとな、と思います。
数百冊届く中の一冊が私も手にすることが出来たら幸せだな。
海外のファッション雑誌の表紙なんて凄いですよね!😍
国内の本屋さんに取り扱いが無いの困るけれど😅もう狭い日本を飛び出して世界を舞台にしている笠松さんだから納得。お取り寄せの手配おつかれさまです🙇♀️わたしたちが買えるようにしていただけるのでしょうか?嬉しくて、
俺運営様に感謝感激です🙏
早く見たいです、楽しみすぎる☺️💕
サイン入り、欲しいなぁ〜♡
サイン入りとか、最高!
しょーちお疲れさまです。なんだかんだあるけど、とりあえずがんばろうね❗雑誌楽しみだなぁ🎵後に後悔ないようにね😃体調気をつけて水分補給忘れずに休んで下さいね😪💤💤
読み終えてからブログのお題目を再確認したときの納得感がすごいので購入したいです