言葉が言葉以上の意味を持って襲い掛かり、襲われる。そこに意図的なものが無い方が、より残虐に感じる事がある。大したことでは無いのかもしれない。そんなことが誰かを最も傷つけてしまう。僕自身もいつだってその両側に立ちながら、シーソーのように揺れている。
親は大切にした方が良い、と至極真っ当な意見からどん底に嵌って行く。彼女には金がなく、自身の両親に金銭的な支援は難しいと言う。兄嫁が意地悪だと繰り返す。車を買ったとか、時計を買ったとか、それを自慢してくることが腹立たしいと憤っている。優しさが必要だと言うので、優しさとは何かと尋ねてみる。優しさとは定期的に会って、連絡を取り合い、たまには些細なプレゼントを送ることだという。お前も家族、母親は特に大切にしろと彼女は言う。兄嫁の様にはなるなと、そう言う。話を聞けば、兄嫁というのは毎月仕送りを送りこそするが、会話の節々に意地悪が隠しきれず、それが良くないと彼女は言う。「毎月三十万円の仕送りをするのと、月に2回東京から会いに行くのは、どっちがいい?」と聞くと、彼女は即答したが、どっちを選んだのかは伏せておく。僕自身と母との会話では無い事だけは、母親の為にも明記させていただく。
世界ではこういう事が日常的に起きて、誰かが傷ついている。正直、どうしようもない事であると同時に、どうでも良い事だと思ってします。僕は冷たい人間なのだから、がっかりしないでほしい。お前には稼ぐのが難しくないのだから、もっと立派な、例えば旅行とか、そういうものをプレゼントしてみるのはどうだと、提案していただいた事がある。他の誰かに言われて驚いたのは、お前の一日のギャランティが私の月収なのだと怒られた事がある。僕はそう言われて鼻で笑ってしまった。そういう事をまるで運とか才能だとか、そんな物差しで測っているからお前は駄目なのだと突き返した事を後悔している。正論は鋭い刃であり、相手に逃げ道を与えない。そんなやりとりをした人は仕事をコロコロと変えながら、自由に生きている。責任と自由の間で、自由を選択したのではないかと、そう問いたい。
人生は、自分の思うようになるのだと確信している。うまくいかないと思っているのなら、うまくいっていない現状は思う様になっているわけだ。思うようになると思っている人が、自らが望む人生になる様にもがき成功をする、だから人生はどちらにしても思う様にしかならないのだと、僕は思う。心の綻びが、生き方が、人生を決めるのではないだろうか。
わからない、答えはわからない。そんなものは無い。もしあるのだとした興味がなくなってしまう。冷める事を言わないでくれ。答えのないものを考えることにこそ、価値があるのだと信じている。水を刺さないでくれ。太陽の光だけを指して美しいと、理由もわからず涙を流したい。複雑なものに単純を見出したい。乾燥した君の手を握って美しいと言いたい。
グッズかわいい🩷です。
イベントには参加出来ないので、SHOPで購入します。
買えるかなぁ。
私も難しい事はわからない。
でも こういった事を深く真剣に考えられる将君は優しい💓というのはわかります。
難しいね。
しょうちの作ってくれた可愛いグッズ見て元気もらったよ〜ありがとう✨
笠松さんの言葉が刺さって刺さって、希望のある未来へと続くと思ってます
グッズ可愛すぎる🫶イベントの日付を書いてくれてるのも特別感あって嬉しいです!!病院の診察待ちなのですが、テンションあがりニヤニヤしております🤭いつも楽しみをたくさんありがとうございます。